ボイスコミュニケーティング協会の『VOICE』

VCAメンバーによるコラムです。

VCA新聞 コラム vol.8「活字のお話」 by Kennyキムラ

VCAで新聞的なことを始めようと言うことでの2周目。相変わらず好き勝手なことを書くことにする。

タイトルは『活字のお話』。

 

 いつの頃から「活字中毒」である。

 いつの頃と書いたが、なんとなくこの辺から、という目安はある。

 大学を卒業して、初めて就いた仕事が音楽産業の業界。私はインペグという仕事を新卒で始めた。インペグといわれても、世間一般の人はきっとポカンとするだろう。簡単に言えば、レコーディングのコーディネーター。

 当時はコンピュータがない時代。レコーディングの現場では、いわゆるスタジオミュージシャンと呼ばれるプロの演奏家が、実際にドラムだのギターだのという楽器を弾いて録音を行う。本来はレコード会社がそれらのセッティングをするのだが、それに代わってスタジオを押さえたり、プロのミュージシャンをアサインするというのがインペグ屋の仕事。現場つまりレコーディングスタジオへ行って、アサインしたミュージシャンがちゃんと現場に入っているかを確認する。もしアーティストとかアレンジャーが「こいつは気にくわない!」なんてことになったら、急遽別のミュージシャンをアサインするなんていう対応もする。無事に録音が終わったら、演奏してくれたミュージシャンに対して、レコード会社に代わってギャラを支払ってあげる。ミュージシャンというのは日雇い労働者なので、取っ払いの現金をレコード会社に変わって立て替えるのである。

 そんなわけで、スタートから終了まで20時間くらいスタジオに張り付くわけである。そこでただじっと座って待っているわけでもなく、別の日の現場のセッティングだのアサインだののために、ミュージシャンとかスタジオとか事務所に電話をかけまくるのも、これまた大きな仕事。

 今の時代と違ってスマホなどはない。スタジオの端に備えつけられたピンクの電話を一日中陣取り、10,000円分くらいある10円玉をそこに積み上げて、ひたすら電話をかけまくるのだ。ひとりの予定が合わないと全部一からやり直し、なんてこともザラである。アーティストの気まぐれで直前キャンセルなんての当たり前。毎日毎日、理不尽と戦うのも仕事の一つなのである。

 

 さて「活字中毒」という話から大きく反れているが、徐々に戻していく。

 当時は、電話をかけられる時間帯というのも決まっていた。今だと個人が一台スマホを持っている時代なので、夜中だろうが早朝だろうが、誰かに迷惑をかけることもなく特定の個人を捕まえられる。さらにメールだのLINEだのメッセージだので、時間なんざ関係なくやり取りすることができる。しかしあの時代は、一応のモラルというものもあったので、21時を過ぎたら電話かけは終了。やっと一段落できるわけだ。

 スタジオのソファに座って、やっと自分の時間となる。

 あのときは1ヶ月で10万というクソみたいな月給だった。そんな中から購入した「Sound & Recording Magazin」「Guitar Magazin」は、毎月表紙から裏表紙まで徹底的に何度も読むのである。時はアナログからデジタルに移行するような時代だったので、レコーディング業界のネタは百花繚乱であった。

 YAMAHADX-7サウンドの幅を変え、リバーブがアナログからデジタルになって録音現場の音がどんどん華やかになっていった。そんなネタが「Sound & Recording Magazin」に毎月満載されていたのである。

 とにかく、インペグ屋をやっている1年弱の間は、この「Sound & Recording Magazin」「Guitar Magazin」を熟読しまくっていた。それが「活字中毒」の始まりだったと思う。

 

 そこから弾みがついたのか、活字は自分にとって大きく身近なものになった。

 子供の頃から本を読むのは好きな方だったが、中毒とまでは行かなかった。読んでも雑誌とかマンガくらい。インペグ屋を辞めてからは、毎日本屋をはしごしてありとあらゆる本を立ち読みしまくった。もちろん図書館へもけっこうな頻度で通っていた。

 そもそも私の祖父の職業は、朝日新聞社の記者である。戦前は宮内省の皇族付きの記者として、ほぼ毎日皇居内の記者クラブにいた人物である。私の中には活字というDNAが刻み込まれているのである。ひとたびそのDNAが花開けば、そこから先は噴出する一方である。

 

 インペグ屋をやめてしばらくすると、運良くリクルートという会社に紛れ込むことができた。

 そこでは、今の仕事に直結している映像制作の仕事をやりはじめた。さらには、出版関係をメインにしていた会社だけあり、ワープロだの出始めのパソコンだのが使い放題だった。ワードプロセッサーという文字を打つ専用コンピュータが全盛期。さらにNEC9801というパソコンに「一太郎」というワープロソフトが準備されていた。そんな文字打ちのおもちゃに夢中であった。当時の誰よりも早くキーボードのタイピングもそのときにがっつり覚えることができたし、パソコンの基礎的なものも一通り覚えることができた。社内では映像制作の傍らで、自作の小説とか曲の作詞とかを、おもちゃを使って書きまくった。とても人に見せられるものではないが、発想力を鍛えるとか文章化するというような基礎を、この頃に自然と身につけたのだろう。

 

 現在、本業は映像制作なのだが、それには台本とか脚本とかシナリオ(みんな同じ意味が必要になる。その手前に企画書みたいなものも書く場合もある。実際の映像制作に取りかかる前の、こういった一連の作業が基本的には大好きで、企画-構成-シナリオまでを自分でやってしまう仕事が多い。

 ふつうの映像制作の現場だと、撮影前の作業(プリプロとか言う)で文字を書く専門家、いわゆる作家を「先生」などと呼ぶわけだが、全部ひとりでやってしまう自分にとっては「センセイ?」みたいな感じがしてならない。

 ま、分業にした方が良い結果になることもよく知っているので、それ以上は言わないでおこうかな。

 

 年齢を重ねていくと、現場作業がどんどんつらくなっていく。まずは目が見えなくなってくる。体力も落ちてきて現場がきつくなってくる。無理が利かないので編集作業では睡魔との戦いで、敗れることもしばしば。さらには都心が中心となる仕事ゆえ、東京から離れられなくなっている。いつまでこの状態を続けなければならないのか?まあでも、好きでやっていることなので、それほど苦ではないのだが、いずれにしても第一線を退く準備をしなくてはいけないお年頃になってはきた。

 

 理想を言えば、文字を書くという仕事だけで、これからの生計が立てられるのであれば、終活に向かう自分としては願ったり叶ったり。都会の喧噪を離れ、場合によっては日本を離れて、のんびりとした場所で、インターネットを使って文字を書くというような仕事ができるのなら幸せかなと思ったりする。

 とは言え、所詮〆切人間なので、〆切間近にならないと仕事を始めないという悪いクセは治らなとは思うが、一方でいつまでもざわざわしたところに住んでいたいとも思っていない。企画力も表現力も想像力も文章力も、きっと人より多めにあると自負はしている。

 

 なのでどなたか、文字だけで食える道に導いてくださいませ!

 

と、最期は他力本願で締めくくっておきます。

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VCA新聞 コラムvol.7 「自動車運転、ルールとマナー」by 長谷川

先日、

一般道でしたが、いわゆる煽り運転に遭遇。
煽られた、とかではなく、煽っている車の後ろ側に付く形になってしまった。

 

おそらく煽っている車は、前方の対象にしか注意を向けておらず、
かつ、蛇行運転をしたり、急減速急加速を繰り返して、当たり前に危険なのだが、
ある程度距離を保って走っているこちらにも、危険が及ぶ瞬間も。

 

さすがに、イラッとさせられたのだが、
こういうことには、触らぬ神に祟りなし・・・

とはいえ、

 

信号待ちで車を横付けにして、しきり文句を言い続けている様子。


前の二台が車線を塞いだまま、青信号になっても動かない状態が、

しばらく続いたので、しびれをきらし、
車を降りて、間に入る形に・・・(本当はよくないですよー)


イラッとして自分の車を飛び出したものの
(何度も言いますが、よくないですー)
瞬発的に冷静になり、でも後には引けず・・・

 

煽っている側の運転手に話しかける。

 

その運転手は、
信号待ちで車を降りて相手に攻撃を加えるタイプの武闘派ではなかったものの、
かなり激昂中。

 

しかしながら、逆に急に話しかけられ、
激昂はしているが、案外冷静さを取り戻す運転手。

 

どうやら、前の車が危険な運転をしてぶつかりそうになったのに
謝りもしなかったのだとか・・・

 

煽られていた車は、その隙にどっか行ってしまいましたが、
話してみると、似たような事はよくあるな、と

 

①他の車に腹立てて煽るのは勝手だけど、無関係な人にまで迷惑かけるの良くないよね
②これだけニュースで報道されてるんだから、煽り運転なんてなんの得もないよね
③気持ちはわからんでもないけど、やらない方がいいよね

 

という話でなんとか納まりましたが。。。

 

この絵面は、事情がわからない人が見たら、こちらが、
車を降りてまで、前の車を煽っている人・・・に見えたかも(笑)


煽り運転はもちろん良くないのですが、紙一重


煽られる側が、絶対的被害者なのか、というと、
そうでもない場合もあると思います。

(もちろんいかなる場合も、煽り運転は良くない前提)

 

高速道路を走っていても、
ウインカーも出さずに、急に車線変更して割り込んでくる運転手、
追い越し車線なのに、

法定速度にも満たないスピードで走行して車線を塞ぎ続ける運転手。


一般道でも、
確認も、一時停止もなしに、ノールックで、左側から入ってくる運転手。

 

「これ、あぶないよなぁ」と気づく側の方が、

結局冷静さを欠いて煽ってしまう場合も多い気はする。


そして、煽られる方が、自分のマナー違反などに気づけていない場合も多い

のではないでしょうか。

 

この事象は、「運転」に限ったことではないのですが。

 

危なかったり、未熟な運転をする運転手に
「それあぶないよ」と伝えられるなんらかのシステムがあればいいのですけどね。
ワンボタンで他の車にメッセージの送れる電光掲示板を標準装備とか。

一言、伝えないと気が済まない、という心理をチートさせるためにも(笑)


もちろん、人間というものは(笑)、

完璧ではないから、ルールやマナーがある訳で、
かくいう私も、車に乗る機会が多いので、気を抜くと違反をすることもあったり、
マナー違反を気づかずにしているかもしれない。

 

不徳の致すところも多々あるのですが。

運転には性格が出やすいと言われます。

イラッとしたら、6秒待て、と言われます(笑)

そして深呼吸。

 

 

とにかく、安全運転を心がけ、

ルールとマナーに則った生活をしていこうと、日々思うのです。


皆様も、どうぞお気をつけて!
さぁ、深呼吸。

 

VCA新聞 コラムvol.6 「炊飯器がスタート」

こんにちはスタッフの「ありい」です

今回は唐突ですが「筋トレ」の話(タイトルは炊飯器〜ですが)

とは言っても ありいが何で重い腰を上げ筋トレをはじめたのか?

その切っ掛けはなんだったか?というお話です

 

きっかけは3年ぐらい前

家の炊飯器を新調しようとweb検索をしていたと時の事

Amazonのレビューで

沼専用炊飯器

という文字を目にしたことから始まります

 

沼専用?ってナニ?

って思うじゃないですが 普通

 

私もそう思い

レビュー

を覗くと

「シャイニー薊さんのレシピ通りに大体作っています

吹き零れはないのですが、内蓋は毎回汚れますので・・・」と本文

 

「シャイニー薊」ってナニ?って思うじゃないですが 普通

という事で「シャイニー薊 沼」検索するわけです

 

するとYouTubeの画像が出てきて その実態が分かったわけですよ

 

「沼」とはPFCバランスを考えて作られた旨味満点のおかゆのことでした。

(PFCとは「Protein/タンパク質」「Fat/脂質」「Carbohydrate/炭水化物」の事でダイエットの際に重要になってくる栄養素です、詳しくは検索してみて下さい。)

 

で「シャイニー薊」さんはボディビルダー(フィジーカー)で

マッスルグリル

というYouTubeをやっていて、そこで紹介された

「沼」が当時200万回再生くらいされていてバズっていました

(現在は500万回超えてます)

 

その番組は 1DKのアパートのこ汚い(失礼!)部屋で

格闘家のスマイル井上さんと二人で繰り広げられる料理を作る内容で

今までに見たことがない世界感と 妙なテンポの日常会話的な会話の面白さがあり

それまでYouTubeを見ることが無かったわたしには斬新かつ衝撃的で

すっかりハマってしまいよく見るようになっていきました

 

 

次回、マッスルグリルを見ていたらに続く

 

ちなみに炊飯器は嫁さんの要望通り

バーミキュラ ライスポットになりました

VCA新聞 コラムvol.5 「iPod」

こんにちは

 

-Shoya-毛塚翔也です。

今回は僕の大好きなApple製品に関するニュースを取り上げたいと思います。

 

 

2022年5月10日

Apple音楽プレーヤー「iPod touch」の販売を終了すると発表しました。

つまり2001年から始まったiPodのラインナップはそのすべてが役目を終え約20年の歴史に幕を閉じることとなったのです。

 

 

今から遡ること約20年前の

2001年10月23日

スティーブ・ジョブズはその後のApple社の存在を大きく変える商品

iPod」を発表しました。

 

 

重さ180g、白いポリカーボネートとステンレスで構成され

小さめの画面と凹凸のないホイールをそなえたiPod

それまでカセットやMD、CDを持ち歩いていた時代に1000曲をダウンロードし

好きな曲をいつでもどこでも聴ける製品として登場しました。

 

それまでもMP3プレーヤーは存在していましたが保存曲数はもちろん

操作性、デザイン、高度なインターフェースなど

どれをとってもiPodはそれまでの携帯音楽プレーヤーを凌駕していました。

 

そして勢いをさらに加速させたのが

2003年にオープンしたiTunesミュージックストアです。

1曲99セントでのダウンロード販売を開始し2年後の2005年時点で10億以上の楽曲を販売。

これは全ての正規購入音楽ダンロードに置いて85パーセントのシェアを占めていました。

 

それもそのはずでiPodはこの時点で

全デジタル音楽プレーヤー市場で75%という脅威的なシェアを有していたのです。

 

当たり前のようにiPod専用のアタッチメントがついたスピーカーが市場に溢れていたことも

今思い返せ異常な光景であり

一企業の一商品がそこまで市場を動かしたことは紛れもない事実として証明されていたのです。

 

SONYウォークマンを発表したのが1979年。

 

そすて21世紀のウォークマンと言われたiPod

その時、誰も想像もしえないほどの未来をその後のAppleにもたらすことになったのです。

 

今でこそApple社は一般認知度の高い企業ですが

iPodは登場した2001年時点でのApple社はいちコンピューター企業でした。

 

しかも音楽や映像など一部のクリエイターが使う製品というイメージが強く

コンピュータ市場でも10%にも満たないシェア率だったそうです。

 

 

それがiPodの登場により数年で

音楽関連事業が収益の60%近くを占める家電・ソフト販売起業に変貌。

 

その成功が21世紀のApple躍進のキッカケとなり

 

iPhoneiPadApple WatchAppleミュージック、Apple TVなど

多くの製品・サービスを生みだしたApple

たった20年余りで

資金、アイディア、ブランド力、技術力、企業価値

全てにおいて他の追随をゆるさない一流の企業へと進化しました。

 

それは人の生活スタイル、仕事にとどまら人間の生き方、価値観、発想

全てにおいて脅威的な変化を即すことに繋がりました。

 

 

もちろん従来からあるMac製品にもその恩恵は強く

iPodの人気が高まりiTunesiPhoneiPad、そして全ての端末を繋げるiCloudの存在によって

それまでの一般ユーザーまでもが手にとるデバイスとしての地位を獲得することになりました。

(僕自信初めて触ったApple製品は90年代発売のiMacであり初めて購入したApple製品もiMacでした。)

 

 

操作面で僕が個人的に思い入れがあるのが今では当たり前になっているシャッフル再生。

移動中、休憩中など場所や時間を選ばず

自分が選んだお気に入りの曲だけが流れるマイベストヒットラジオが体感できる訳だ。

これもiPodの登場によってもたらされたサービスであるのではないか。

 

 

iPodという商品は無くなるが

音楽を聴く、買う、プレイリストを作る、体感する

そういったiPodの精神はこれからも残り続けると思うと寂しさも少し和らぐ自分もいるわけで

 

みなさんも久しぶりに昔持っていたiPadで音楽を聴いてみるのもいい時間になるのではないかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

VCA新聞 コラム vol.4「肩書きの話」 by Kennyキムラ

 もしかしたらもう「YouTubeプロデューサー」というコトバ…肩書き?はすでに古いというか、飽きられてきているのかもしれません。

 でもまー、どんくさい国ニッポンの中だったらまだ通用するような気もしていて。なので2022年は「料理研究家」という肩書きに加えて「YouTubeプロデューサー」という肩書きも自分に加えようと思っています(笑)。←この肩書き…これも本当はどうでもいいと思っているのですが、特に日本人は肩書きに弱いですね。海外でおねーさんの店に行くと「シャチョサーン!」と呼ばれイジられるのもその証。

 

 そもそも大日本帝国時代の軍人の階級がかなり細かくなっていて、少しでも位が上には死んでも刃向かえない。刃向かうと殺されるし刃向かったら殺してもかまわないくらいの絶対的なものでした。団体を統率するためには、そういうものが時に必要なのですが。それがやがて会社の中での役職になり、昭和の時代には猛烈サラリーマンが寝る間を惜しんで働くことで高度成長に繋がり日本は見事な戦後復興を果たすわけですが、会社の中ではエリートが出生し肩書きがどんどん高くなり、反対に万年平社員という言葉も生まれ格差が広がっていくわけです。そして20世紀末あたりでは、カタカナ職業…例えばデザイナーとかプロデューサーとかがもてはやされ憧れの職業になります。

 

 まあ自分もその頃社会人になったこともあり、初めて入った会社での肩書きはレコーディングコーディネイターというもの。なんとなくかっこいいというか業界っぽいというか。そしてしばらくするとディレクターという肩書きになりました。その名刺を渡されたときは、地下鉄の駅のホームで、そこにいる身も知らぬ全員に名刺を配って「俺はディレクターなんです!」と言いふらしたくなったことを鮮明に覚えています。

 

 雇用されることから抜けだし、フリーのディレクターになったときは26才くらいの時。TBSで1年半くらい食レポ系の番組を担当し、そのころは地方回り…特に北海道によくいってたのですが、その土地の飲み屋さんとかで名刺を出すとおねーさんだけでなく、その土地の有力者的な方々が集まってきました。

「すげーな、東京のテレビ屋さんに会った!」とよく言われたものです。

 まあこれはディレクターという肩書きよりもTBSのロゴがものをいっていたんだと思いますが、そのおかげで良い思いもいっぱいしましたし、美味しいものをたくさん食べることができましたし、人には言えないようなエピソードも山ほど作ることができました。

 30歳を超えたときに最初の会社を起ち上げて、社会的には社長という肩書きがつくことになりました。

 なんだかんだでこれまでに3つ会社を起ち上げたのですが、名刺にはこれまでに一度も「社長」と記したことはありません。せいぜい代表取締役まで。いまは気取ってCEOと書いていますが、どうもアジア地域の飲み屋のおねーさんが叫ぶ「シャチョサーン」のイメージが強過ぎるせいか、「社長」と呼ばれることが本当にイヤなのです。

 仕事柄「監督」と呼んでいただくことがあるのですが「監督」は荷が重いといいますか「僕なんかそんな器じゃございません」と思っちゃう。今でも現場によっては「監督」と呼ばれたりもしますが、それをイヤがりはしないものの「くすぐったい」というよりかなり恐縮してしまいます。

 バスケチームを率いてもいるので、その現場で「監督」と呼ばれることは全く気にしないんですけどね。VCAという協会では「代表理事」という肩書きを持っていまして、これも全く気にならない。「社長」と呼ばれるよりも社会的な威厳がありそうな気がします。とはいえ気分が良いとか悪いとかいうことでもない。

 

 大学で学生たちに映像制作について教えたりもしているので「非常勤講師」というのも自分の肩書きの一つです。でも木村講師と呼ばれることはなく、教室では「先生」と呼ばれ、ちょっとした文字のやりとりでは木村先生と書かれたりしています。これも日常的には呼ばれ慣れてないので、学生に「先生」と呼ばれても「え?オレのこと?」みたいな感じは今でも変わらずです。

 世界規模のハーレー団体日本支部で「副総長」というのもあって、英語表記なので「VICE PRESIDENT」という肩書きも持っていたりしますが、日常的にはそう呼ばれることもなく、仕事用の名刺やWebサイトにそれを表記することもありません。

 ダイビングの「インストラクター」の資格もありますが、これも普段は表記しないしそう呼ばれることもない。そういえば身近なバンド仲間や音楽仲間…特に先輩方からは「バンマス」と呼ばれることもありますが、それは肩書きというより仲間内でのニックネームみたいなものかなと。

 

 こうやって肩書きという一つのテーマでだらだら書き上げてみると、結構な数の肩書きを持っているんだなということに気がつきます。名刺にはそんな中から映えそうなものだけを書いてあります。

 そんな中で名刺に記す肩書きでほしいものが「料理研究家」と「YouTubeプロデューサー」。料理に関してはプロではないけど、間違いなく50年以上研究していて今でも作るときには研究をしまくっているわけですから「料理研究家」を名乗っても嘘じゃないし、そもそも資格のようなものがあるわけでもないので勝手に名乗ってしまえば良い…そういう職業いっぱいありますよね○○コンサルタントみたいな。

 もうひとつの「YouTubeプロデューサー」は半分シャレなのですが、本職でもプロデューサー的なことをしばしばやっているので、あえてYouTubeとつける意味があるのかどうか?です。

 これからのご時世的にはただ「プロデューサー」と書かれてもピンとこない。さらに「YouTubeプロデューサー」の方が絶対にウケが良いはずなんです。

 VCAのチャンネル、個人の『えいぞー創ろう塾』、そして元Rの番組と3つもプロデュースしてるので嘘じゃないし。その方がウケるなら、それで良いじゃん!ということ。

そのうちブームのようなものは過ぎ去るので、そしたら元に戻せばいいだけの話。

 

 ということで、次に名刺を新しくするときにはこの二つを入れようと思っています。

VCA新聞 コラム vol.3 「出会いは突然に」

こんにちは

 

VCAメンバーのノブ長谷川です。

VCAメンバーの週替わりコラム

今週はわたくしが担当。

 

茶色い色彩の食卓は、味気ないものですが、

ギターを並べると、偏好的に茶色だらけになりがちです(笑)

 

写真のアコースティックギターは、学生時代、音楽活動を始めた頃、うんと頑張って購入したMartin D-18

もう30年以上もの付き合いになる。

もう一本のエレキギターは、テレキャスターシンラインタイプのSONIC製のギター

新品で購入した、一番の若手の、今風に言うとMNG(my new gear)。

 

VCAボイスセッションのギタークラフツマン竹田豊氏の回では、MCをやらせていただき、拙いながらも、竹田さんからギターのあれこれ話を伺った訳ですが、

折角の機会ということもあり、ギター好きの友人O氏も撮影に同行しておりまして・・・

 

ボイスセッション撮影終了後、竹田さんが手塩にかけたSONICギターを、いろいろと試奏させていただき、普段あまり触れたことのないハイエンドコンポーネントギターを

堪能させていただいていたのですが、先出O氏が突然、

「これ、やばいですねー、いいですねー、最高ですねー、買いますっ!」

と、即買いを決意し、彼の気分も最高潮!

 

「楽器を色々と買ってきたけど、その楽器を創り上げた本人から、その楽器達の逸話を目の前で聞けて、そしてその本人からギターを買える、なんて機会は滅多に無い!」

と、歓喜の声、そして、彼の即決力に惜しみない拍手が。

 

そして、彼は続いて一言、「長谷川、お前も一本買うよな?」

 

ん?

 

「竹田さんのようなレジェンドにインタビューさせてもらって、こんな最高の日にギターを買ったら記憶にも残るし、竹田さんにとっても、インタビューを受けたその日に、

その場でギターが二本も売れた、なんて、レジェンドに記憶してもらえる絶好の機会でしょ!」

 

なるほど。

彼は映画のプロデュースもするような人間で、ドラマティックなストーリーが大好きだ。

 

思い起こせば、何をするにも熟考を重ね、失敗しないように試行錯誤生きてきたが、

それでも失敗の連続の人生だった(笑)

 

その失敗を引きずり、人生なんて思うようには行かない、と立ち止まることもあったけど、

この年齢にもなると、悩もうが悩むまいが、どっちでも一緒だったな、と思うことも多いし、

いろんな答え合わせをしてみても、やっておいた方が良かった、ということも多いし、

 

直感で動いてはダメだ、と、思いついたこととは違う行動をしたものの、

実は、直感のほうが正解だった、と思うことも多い!

 

直感的な行動ができる人間には、幾ばくかの憧れもある。

 

何やかんやで、そのストーリーに乗っかり購入した、このSONIC製ギター

学生の頃、思い切ってMartin D-18 を購入した時と同じくらい、記憶に残る、

良い転機となった買い物だった。

「出会いは突然なのである!」

 

 

そして、数々の失敗も、

しないよりはしたほうがよかった、と、まだまだ精進の日々ではあるけれど、

色彩の乏しい食卓は、

 

ぼちぼちと卒業したいものだ(笑)  

                  

 

VCA ボイスセッション100
ギタークラフツマン『竹田豊』さんとのボイスセッションはこちら

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